スポンサーリンク

山本由伸の学歴や出身高校・中学はどこ?運命の出会いが転換に!

オリックス・バファローズ所属の投手でもあり
今や日本球界を代表するエースとなった山本由
伸選手。


また、パリーグでは史上初となる2年連続で沢
村賞を受賞しています。


今回は、そんな山本由伸選手にスポットを当て
学生時代のエピソードや運命の人との出会いに
ついてもお伝えします。

スポンサーリンク

山本由伸のプロフィール

名前:山本由伸(やまもと よしのぶ)
生年月日:1998年8月17日
身長:178cm
体重:80㎏
出身地:岡山県備前市
投球・打席:右投右打
ポジション:投手
プロ入り:2016年 ドラフト4位
所属球団:オリックス・バファローズ
年俸:6億5000万円(2023)

山本由伸選手は、2016年の日本野球機構ド
ラフト会議でオリックス・バファローズから4
位指名を受け入団しました。


契約金4000万円・年俸500万円(推定)
という条件でした。


しかし、入団する前に山本由伸選手に関してよ
くない噂が流れたことで入団が危ぶまれたこと
があったようです。


その内容は山本由伸選手が高校3年のときスカ
ウトの間で「山本は足をケガしているので社会
人に行くかもしれない」という情報が流れたと
いうのです。


各球団が諦めかけたとき、担当スカウトだけは
必死になって球団幹部を説き伏せ見事に入団さ
せたというエピソードがあったようです。


担当スカウトが万一諦めていれば、山本由伸選
手がオリックス・バファローズに入団すること
はなかったでしょうね。


入団後、1年目こそ一軍で1勝しかできません
でしたが、2018年は4勝、2019年8勝
2020年8勝、2021年18勝、2022
年15勝と着実に勝ち星を重ねています。


また、2年連続で沢村賞を獲得していて2年連
続での沢村賞はパ・リーグ史上初です。

スポンサーリンク

山本由伸の学歴:出身高校

山本由伸の学歴:都城高校

山本由伸選手の出身高校は、宮崎県都城市にあ
都城高校です。

都城高校の創立は、1960年で男女共学の
私立高校です。


春のセンバツ1回、夏は8回甲子園に出場して
いる名門校です。


都城高校といえば、野球部ばかりが取りだたさ
れますが、ラグビー部は過去に全国大会でベス
ト4になったこともある強豪校です。


都城高校に入学した山本由伸選手は、1年生な
がら夏の宮崎県大会で「9番・三塁手」として
出場しています。


本格的に投手になったのは、1年の秋からで2
年の春には、すでに147キロ出してたそうで
す。


2年夏の宮崎県新人野球大会ではなんと151
キロを計測しています。


この大会の決勝戦では、鵬翔高校と対戦しノー
ヒットノーランを達成。


2年の秋の宮崎県大会では、宮崎海洋高校を相
手に5回参考ながら完全試合を記録。


もうこの時点で、プロのスカウト陣は山本由伸
選手に目をつけていたでしょうね。


3年夏の宮崎県大会では3回戦まで勝ち進みま
したが宮崎商業高校に敗れ甲子園には出場する
ことができませんでした。


これだけのスピードと能力があったにもかかわ
らず、残念ながら甲子園には縁がなかったよう
です。

山本由伸の学歴:出身中学校

山本由伸の学歴:備前市立備前中学校

山本由伸選手の出身中学校は、岡山県備前市に
ある備前市立備前中学校です。


中学に入ってからは、硬式野球の東岡山ボーイ
ズに入団しています。


当時の山本由伸選手は、どこにでもいる普通の
選手だったようです。

入団直後、中学1年生の山本少年の
印象は「どこにでもいる、普通の野
球少年」。

身長は同級生と比較しても小さいほ
うで、線も細かった。チームのユニ
フォームを着ると「サイズが大きく
て法被を着ているようだった」

引用元:real sports

東岡山ボーイズで2年までは公式戦に出場した
のはわずか1試合のみでした。


レギュラーになれたのは3年生になってからだ
といいます。


着けた背番号は「4」。


エースナンバーの1ではなく、4のセカンドだ
ったのです。


もちろん、投手としても試合には出場していた
ようですが、チーム内には山本由伸選手のほか
にもう一人背番号1をつける投手がいたことで
セカンドを守っていたようです。


中学3年の夏には全国大会に出場しています。


1回戦、群馬県の高崎ボーイズ戦にリリーフと
してマウンドに上がりましたが、ホームランを
打たれコールド負けしました。


中学時代はこれといった活躍をすることはなか
ったようですね。

山本由伸の運命の人との出会い

山本由伸選手は中学3年の野球が終わっても進
学に向けて練習していたようです。


時間があれば毎日ブルペンで投球練習をしてい
ました。


しかし、中学3年の時点で県内の高校から誘い
があることはなかったようです。


そこで声をかけてくれたのが都城高校の森松監
督でした。

「森松さんは岡山の作陽高校でコー
チをやっていたんですけど、その年
の夏から都城の監督に就任していた
んですね。
その縁もあってウチのOBも都城に
行っていたんですけど、挨拶に来て
くれたときに由伸の投球を見て、た
ぶん一目惚れしたんでしょうね。
『あの子、連れて行っていいですか
?』って言われましたね。
一期一会ですよね、
本当に。
その出会いがなければ今の由伸はな
いと思います」

引用元:Yahoo!ニュース

森松監督という運命の人との出会いがあったか
ら今の山本由伸選手の活躍があるのかもしれま
せんね。

都城高校に進学が決まってからの半年間が中学
3年間で山本由伸選手が一番急成長した時期だ
ったそうです。


進学先も決まったことで「やってやろう」とい
う気持ちになったから成長したのでしょうね。

山本由伸の学歴:出身小学校

山本由伸の学歴:備前市立伊部小学校

山本由伸選手の出身小学校は、岡山県備前市に
ある備前市立伊部小学校です。


父親の影響もあり小学校時代には少年野球チー
ム・伊部パワフルズでプレーしていました。


というのも山本由伸選手の父親が伊部パワフル
ズのコーチをしていたからです。


当時のチームメイトに、実家が隣同士で2歳年
上で現在オリックス・バファローズの捕手をし
ている頓宮裕真選手もいたそうです。


実家が隣同士ということもあって、2歳年上の
頓宮裕真選手とも仲が良かったそうです。


小学6年の時には、全国大会に出場し神宮球場
のマウンドも経験しています。


当時は内野用のグラブを買っていたので、いき
なりピッチャーをやろうとは思っていなかった
みたいです。


小学生の頃は本気で走っている姿を見たことが
ないというくらいただ野球を楽しんでいるだけ
の少年だったようです。

まとめ

今回は、山本由伸選手にスポットを当て学生時
代のエピソードや運命の人との出会いについて
まとめてみました。


いかがでしたでしょうか。


今や日本プロ野球界で最高の投手と言える山本
由伸選手。


近い将来、日本を離れメジャー挑戦する日を楽
しみにしたいですね。


最後までお読みいただきありがとうございまし
た。

タイトルとURLをコピーしました